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毎日の日課になっていたお見舞い

私の実家は、私の両親、母方の祖父母、そして私と兄2人の7人家族でした。
幼い頃から両親にも祖父母にもたくさんの愛情を受け、やりたい事を自由にやらせてもらえる環境にあり、本当に幸せな毎日だったと思います。
しかし、次第に私も思春期に入り、学校から家に帰宅すると大勢の大人がいて、様々な事を聞かれたり、話されたりすることにイライラするようになってきたのです。
成長の上で、反抗期とも呼ばれる時期だったのだと思います。
しかし、その時はただただ両親や祖父母の存在が煩わしくて仕方なかったのです。
私の両親は共働きだったので、平日は学校から帰宅する時間に家に両親が居る事はほとんどありませんでした。
そのため、常に家にいる祖父母の事を煙たがるようになってしまったのです。
本当に些細な事一つ一つが嫌で、顔に出すだけでなく、次第に言葉にして祖父母に文句を言うようにもなってしまいました。
本当にあの時の私は、まだまだ子供だったのだと反省しています。
高齢だった祖父母の、テレビの大音量や、食事の際の食べこぼし、人の物を勝手に見る、等今思えば怒鳴るような事でもないことが本当に嫌で嫌で仕方ありませんでした。
そして私が社会人になって働き始めた頃、ある日突然祖父が倒れて救急車で運ばれたと母から連絡が入りました。
母も現場を見ていなかったので、詳しい内容は分からないとのことで、仕事が終わり次第病院に行くよう言われました。
今まであんなに煙たがっていた祖父の事なのに、倒れたと言われた瞬間、心配で心配でたまらず、仕事が終わるとすぐに病院に向かいました。
そして病室に入って最初に飛び込んできた祖父の姿は、体にチューブや酸素マスクなどを装着された重病の患者さんの姿でした。
母に詳しい話を聞くと、家に一人でいる際に突然脳梗塞を起こし、倒れたそうです。
うちは幸い田舎で玄関や窓も常に開いているような環境だったので、隣の方がたまたま大きな物音に気づき、倒れた祖父を見つけたくれたそうです。
救急車で運ばれるのが早かったため、命に別状はありませんでしたが、様々な麻痺が残ってしまうと医師から告げられたそうです。
そして次の日、目を覚ました祖父は言葉が出ない言語症になっていたのです。
自分の思うように体が動かない、痛みがある、言葉で伝えられないなどの症状が突然自分の体を襲い、現実がまだ飲み込めない祖父は、毎日とにかく手振りで怒っていました。
私が今まで見た事のないような形相で看護師さんに掴みかかっていた事さえありました。
その祖父を見て、私は今までたくさんの愛情を注がれてきたのに、文句ばかり言って、何一つお礼をしていなかった事に気付かされ、涙が止まらなくなりました。
そしてそれ以来、毎日仕事が終わると祖父の病院へお見舞いに行き、顔を見せるのが日課となりました。
今まであんなに遠ざけていた祖父を、毎日自分の意思で顔を見にいくようになったのです。
その真意には、反省の気持ちが強かったからかもしれません。
そして仕事が休みの日には、車いすを押して散歩に出掛けたり、部屋で話を聞いてもらい、過ごすようになりました。
次第に祖父の顔が柔らかく、私の知っている優しい祖父の顔に戻っていった気がします。
しかし、歳のせいもあって次第に祖父はベッドから起きなくなり、眠る時間も増えていきました。
お見舞いに行っても寝ている事が多くなり、ほとんど目が開かなくなりました。
そして呼吸も次第に弱くなっていっているため、覚悟を決めておくことを医師から告げられ、次に目が開いた時には、しっかりとありがとうの気持ちを伝えると心に決めました。
そして一日休みの日に、朝からずっとベッドサイドに付き添っていると、うっすら祖父が目を開きました。
そして「ありがとう。
毎日病院に来るの楽しいよ私。
本当にありがとう。」と伝えました。
すると表情も出せなくなっていた祖父が少し笑ったような気がしました。
そしてその3日後、祖父は他界しました。
病院から家へ帰ってきた祖父の体は、がりがりでした。
葬儀会社の方も、この骨のような体を見て、「ここまで命尽きるまで一生懸命生きた方のご遺体は見た事がありません。」とおっしゃって下さいました。
そして無事葬儀も終わり、私は毎日の生活の中に、お見舞いに行く時間が不必要となったことに最初は違和感を覚えていました。
しかし、これからはその時間を仏壇に向かって手を合わせる時間として利用していこうと決め、毎日帰宅すると真っ先に仏壇に向かうようになりました。

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